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本サイトは現在二万五千名の閲覧者数を達成いたしました。 閲覧ありがとうございます。現在他サイトとの兼ね合いもあり、 中々更新が進みませんが。今後ともよろしくお願いいたします。 2011年公演情報
「My name is」 ![]() http://www.exblog.jp/myblog/entry/new/?eid=f0124498# 多摩美で被災地に、LEDで制作したライトを送る活動をしているみたいです。
ささやかだけれど、考え方が素敵。 興味のある方は、どうぞ。 公式サイト 実際の出来上がったものや、つくりかたが見れるサイト Olive Project
一つのCMが流れている。
それは、普段ならあまり見ないようなCMだ。でも、今僕らはこの気分を共有しているだろう、 ブラウン管の前で。 『遊ぼう』っていうと『遊ぼう』っていう。『ばか』っていうと『ばか』っていう。 『もう遊ばない』っていうと『遊ばない』っていう。そうして、あとでさみしくなって、 『ごめんね』っていうと『ごめんね』っていう。 金子みすず『こだまでしょうか』 金子みすずの一つの詩の引用だ。どことなくこのCMを見ていると、ホッとしてくるから、不思議だ。金子の詩に秘められた人への率直な信頼が、こちらへと伝わってくるからだ。では、なぜこのCMが今、TVから流れてくるのだろうか? 震災が起きて、皆が色々なところで手を取り合っている。ここ北海道でも、多くで震災に対する動きが起こり、震災に際して、普段意識されない人との繋がりが、意識に上ってきている。もちろん主な動きはニュースにまかせよう。僕が主に聞くのは、やはり美術関係のその動きだ。チャリティや、その他の動きが至る所で行われており、それにあたって自粛されたイベントなどもある。では、芸術において震災と向き合うとは、どういうことなのだろうか。それは祈ることだ。祈るとは、と思う人もいるのかもしれないが、それは必ずしも間違ったことではない。作品を作るのでもなく、また出品するのでもなく、祈ることとはどういうことなのだろうか。祈りと言うと、どこか宗教的な匂いを漂わせる。じゃあ作家は作品を作るのでもなく寺院や教会にいって、震災にあった人々の無事を祈ればいいのであろうか?そうではないだろう。やはり実際に作品を作るべきなのだ。これは、一種の逆説だ。 芸術は祈りであるか? 「愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい」 舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる』 この舞城のほとんど直感的なことばは、多くのことを実は僕らに教えてくれている。この博愛に近い思いを舞城は作品の冒頭に掲げて、テキストを書き連ねていく。どことなく幼稚な、しかし真摯な想い。その想いは、彼の作品に託されている。もちろん、ここまで率直に語られると、読んでいるこちらが赤面してしまうことも、またあるだろう。もちろんただ祈るわけではない。彼はこのテクストを綴っている。綴りながら、祈っているわけだ。だが、おそらく舞城は、信じてはいまい。愛を。しかしながら、それを信じようとする気持ちが、このテクストを彼をして書かせたのだろう。読者にその想いが届くことを。そして読者とその想いが共有できることを。 芸術と祈りは全く二つの別なことのように思われるが、それは決して離れて存在しているものでもない、なぜなら人が祈る衝動と作品を作る衝動とは出発点においては同じものであったのだから。
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